夏前、というのもあって、家の裏庭にある畑として使われていたであろう土地を復活させるべく、妻と東京に住む弟を呼び寄せて畑仕事をした。弟は農業高校出身で、僕より何倍も自然に詳しい。ホームセンターでやや武勇伝混じりの農知識をありがたく頂戴しながら、言われた通りに堆肥や農耕具を買った。
数年放置されていた庭は、掘り返すと縦横無尽に横たわる蔦のような根が。土質が良いが故に、根も伸びる。一長一短。四苦八苦しながら、ひとつひとつ掘り返しては文字通り根絶やしにしていく作業。骨が折れる。堆肥を撒き、鍬で醸す。ふわっと漂った土の匂いに、本来これを感じて生きたほうが自然なんだよな、と直感的に思う。
グラフィックデザインを仕事にして気づけば7年が経つ。つくづく豊かさの上に成り立った仕事だと感じる。人が何かをはじめる時。はじめたことを伝えたい時。そういうことに立ち会えるのは、当たり前なことじゃない。貧しくなれば、デザインに割く予算も当然なくなる。人間が食べていくことだけで精一杯になってしまったら、そもそもデザインが必要という感覚がなくなる。極端かもしれないけれど、デザインはきっとその時一番最初に淘汰される仕事なんじゃないかと思う。画面と向き合い時間をかけてつくったデータは、お腹を満たしてくれるわけではない。土に近い仕事の方が、この先も揺らがないよな、などと考える。デザインはどうせ好きで得意でやめ(られ)ないだろうけれど。
食卓に自分の畑で採れた野菜が並ぶ風景を想像しながら、どんな苗を植えようかと話す。友人からとうもろこしの苗をもらえるという話がちょうど良く上がったけれど、虫対策など割と難易度が高いらしくて断念した。併せて植える野菜も選んだ方がいいらしい。たとえばシソとトマトはお互いによく働く。うまく育ってくれることを期待する。小さく期待できるって、豊かなことだね。
「この夏は40度の酷暑が続出しますね」と、ニュース番組でコメンテーターが乾いた声で話している。畑にとっても由々しき時代である。夏に向けて育てる野菜がしっかり育ってくれるか心配をする。ニュースは続けざまに海上を漂うタンカーを映す。目の前の風景からはなかなか想像ができないようなことが、地つづきの世界でたしかに起きている。
画面の中で、海の向こうのあれこれが、目の前の風景と同じくらいの大きさに見える。げんなりしながらも、ふと現実に目を移せば、窓の向こうでは草木が揺れ、土が呼吸する。それを見て少し、ほっとしながら、ぞっとする。


